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『働くということ』(ロナルド・ドーア著 石塚雅彦訳)の要約

おそらく、このブログの記事にたどり着くということは某私立大学の経済学のある授業に参加している学生なのではないだろうか・・・

 

このレポートが出される授業に後期は全く参加するつもりはないので、他の授業に変えようと思っている。

 

まずはじめに・・・こんなゴミレポートを剽窃しないでください

  1. 剽窃行為は最悪の場合、その学期の全ての単位を失う。
  2. このレポートはゴミ。

 

以上2つの理由よりこの記事に掲載されているレポートは反面教師のようなレポートとして有効活用できると思う。

 

 

 

 

本文

 『働くということ』(ロナルド・ドーア著 石塚雅彦訳)を一つ目は労働、二つ目は不平等や格差、三つ目はグローバル化についての要約と私の意見と感想を書く。

 一つ目は労働について筆者の問題提起と主張と根拠を中心に要約する。筆者は労働についていくつかの問いを読者に問いただしている。なぜ人間はそんなにも働くのか、何が労働の動機づけとなっているのか、人は労働からどのような満足を得るのか、とういものだ。

1930年のケインズの『われわれの孫たちにとっての経済的可能性』という論文集に収録されているある予言について筆者は注目している。その予言とは100年後には、週15時間程度だけ働くようになっているはずだという予言だ。

筆者は各国の現状からこの予言は現状から逆の傾向を示していると考えている。世界一の豊かさと技術をもつアメリカは労働時間がケインズの時代よりもかなり長くなっている。余暇を大事にするヨーロッパのフランスも労働時間を伸ばすために祝日を減らそうとしている。ドイツも経営者は労働時間を伸ばそうとしている。

なぜ生産性の急激な上昇は余暇の顕著な増加に繋がらなかったのだろうか。そのことについて筆者は人間の欲望の限りない拡大と説明している。生活水準が向上するにつれて、暮らし方の標準も上がり、以前には贅沢品だったものが基本的な必需品のカテゴリーに組み入れられるようになる。また、使用により満足感を得るのではなく所持していることだけが満足感を得ることになる贅沢品も氾濫している。消費失くして経済成長はありえないということ疑う人はいないと筆者は主張している。日本の消費需要の不振が日本のデフレの大きな原因とも述べている。

労働時間延長の供給サイドの説明は消費主義、際限のない欲望である。

筆者はケインズが予期し得なかったのは需要サイドの人間の競争本能による労働時間の延長だと考えている。

競争本能による競争激化には2つ理由があるようだ。

1つは効率が支配的価値であり市場競争はそれを達成する唯一の道である見方を持ち株主価値の理論として知られるようになった自由市場主義哲学が確立したから。従業員主権企業から株主主権企業への移行のような個別企業や経営者マインドの変化である。

もう1つは各国の政府が国の国際競争力について関心を高めたから。

筆者は以上のように供給サイドと需要サイドの二方面から労働時間上昇の要因を捉えたのだ。

この著書をふまえて私の労働時間の延長についての考えは長時間労働を善とする職場の雰囲気も1つの理由であると思う。部下は上司が帰るまではとても帰りにくい、同僚はまだ働いているのに自分だけが帰宅するのは申し訳ない、という日本人の人柄が余計に長時間労働を助長しているのではないかと私は思う。

 

 

 

2つ目は不平等について筆者の主張と根拠を中心に要約する。

不平等の具体例としては機会の不平等、人生のチャンスの不平等、結果の不平等が挙げられている。筆者は先進工業国で差異拡大は持続的な傾向であると述べている。その理由としては、労働組合の力の低下、技術の変化の2つを挙げている。国際比較を使って、団体交渉における組合の力、およびその交渉力が国家レベルや産業部門レベルで集中されている度合いと、不平等の程度や不平等拡大の率とは逆相関の関係にあるという主張を筆者は説得力があるものと認めている。

しかし、組合の力により直接的には賃金交渉を通じて、間接的には労働市場の規制緩和を制限する政治的影響力を通じて、格差拡大を防ぐという効果を維持するためにドイツでは成長率の低下、サービス部門の発展の抑制、高失業率という犠牲を払い続けているというドイツ首相の考えを筆者は疑問に思っている。

また、高度な技術を伴う市場経済システムにおいては、所得の不平等が拡大していく傾向は不可避的なものであると筆者は述べている。

不平等をもたらすものに柔軟性というものが関わっており筆者はそれを2つの意味に分けている。1つは労働者が自分の持っている技能を可能な限りどんな仕事にでも発揮する用意、および経営者が訓練で絶えず磨かれた労働者の技術的資源を適切に配置する能力、もう1つは、経済全体での労働の配分を最適化するために経営者の採用・解雇の自由を拡大し、必要に応じてリストラを行い、そして必要な技能を外部労働市場で容易に見つけることを可能にする能力である。

この2つの柔軟性のための政策の賛成により一時雇用や定期雇用やパートタイムや派遣社員などの不安定な雇用が格差が失業よりはましだと認められてきたと筆者は述べている。

この著書を踏まえて不平等、格差に対する私の意見としては非正規雇用と正規雇用の格差はロボットによる人間の仕事を奪うのではないかという懸念を考えるとまた別の視点から考察できると思った。

筆者も述べているように単純な作業を外部からの非正規社員に取り扱わせることによって内部の正規社員は高等な技術を活用した仕事をすることができる。

しかし、その状況にロボットという第三勢力が介入することによって非正規社員の仕事のみが奪われ、より正規社員の人間との格差が広まってしまうのではないかと思う。また、非正規社員という市場の需要の源を犠牲にしてロボットという市場に需要をもたらさない存在を増やすことで市場は不活性化するのではないかと思う。故に、不安定な雇用はこれからの社会にとって必要悪なのではないかと考える。

 

 

 

 

 

3つ目はグローバリゼーションについて筆者の問題提起と主張と根拠を中心に要約する。

筆者はグローバリゼーションについていくつかの問いを読者に問いただしている。ある国の社会連帯を大事とする風潮の高まりによる政策の実行ができないほど世界経済のグローバル的統合が国家の実質的な主権を奪ってしまうところまできているのだろうか、世界的に覇権体制を敷いているアメリカに依存し続けてしまうのだろうか、ということだ。

まず、筆者はアメリカの文化的覇権についてグローバルの底にあるメカニズムを問うことが必要と述べ、グローバルな労働市場とその市場を活用するグローバル企業とその市場を活用する訓練機関の3つを挙げた。アメリカの博士号が持つ威信のおかげで政府委員会や審議会で不釣り合いに大きな発言力を持つ人物が次世代を育て、日本の制度を決めるような大臣の共通文化はアメリカであり理想の制度はアメリカのそれなのであると述べた。

つまり、グローバル企業を率いていくようなメンバーはグローバルな労働市場をアメリカの文化をもとにアメリカの訓練機関で学んだことを活用しているのであるということを筆者は主張している。

さらに、筆者はアメリカの強大な影響力をワシントン・コンセンサスという言葉を用いて表現している。ワシントン・コンセンサスとはIMFや世界銀行の見解とアメリカ財務省の見解がぴったり一致することをいう。市場によって力を与えられた特定の人々がとる意識的な決定によって他国の人々は止むを得ず、経済、社会制度の変更を強いられると述べている。具体例としては1997年のアジア金融危機を挙げている。

また、市場個人主義的世界に同質化をもたらしているのは市場であるという筆者の主張のひとつに本気で競争者として勝ち止まる唯一の方法は、アメリカ経済を動かしている市場個人主義に順応することであるというものがある。

この著書を踏まえてグローバリゼーションに対する私の意見としてはアメリカがどれほど大きな市場かということを思い知らされたということである。

世界景気を支えるために、アメリカ国民が自分たちが生産するより5.5%多く消費できるように世界中がアメリカに1日あたり15億ドルの割合で資本を貸す必要がある非合理性というものがあると読んだ時はとても驚き、アメリカの市場経済が及ぼす世界の影響がどれほどのものか知ることができた。

経営者や政策に関わる人間がアメリカのスクールに通いアメリカ共通の思想的・文化的教養を学びそれを自国で活用することによって福祉制度や国家の経済介入を良いこととしない思想が広がるのはよろしいことではないように思える。ともかく、アメリカの経済状況は世界の経済状況に影響をもたらすことを改めて知ったのでその状況を詳しく知ることが大事だと感じた。

 

この著書の初版は2005年、つまり現在から14年前に出版されたものである。14年も経つと世界は大きく変わる。しかし、ケインズの予言である週15時間労働は夢のまた夢であることに変わりはない。ただ、筆者が最後に記した中国の世界一の経済大国への成り上がりはより近くなったのではないかと思う。2010年には実際に中国の名目GDPは日本の名目GDPを追い抜いて世界2位となった。中国人がこれから自らの文化的覇権を英語を通じて発揮せざるを得なくなるのか、筆者の述べる奇妙で折衷的なシノ・アングロ文化が世界の文化になるのかどうか、この目で確認していきたいと思う。

 以上、『働くということ』を一つ目は労働、二つ目は不平等や格差、三つ目はグローバル化についての要約と私の意見と感想を書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献:働くということ〜グローバル化と労働の新しい意味〜

(著者:ロナルド・ドーア 訳:石塚雅彦 中公新書 2005)

働くということ - グローバル化と労働の新しい意味 (中公新書)

働くということ - グローバル化と労働の新しい意味 (中公新書)